Atelier Filondor

杉山誠 Makoto Sugiyama

General Manager
デザイナー/宝石鑑定士/クラフトマン/リフォームスペシャリスト

Makoto Sugiyama

デザインから制作まで、
各分野を専門とする
アトリエ・フィロンドール代表。

豊富な経験とジュエリー全般にわたる
専門知識でお客様をご案内します。

資格・経験

ジュエリーデザイナー :(公社)日本ジュエリーデザイナー協会正会員
宝石鑑定士:JBSジュエリー鑑定士
1級リモデルカウンセラー:(一社)日本リ・ジュエリー協議会

1962年天竜市(現:浜松市天竜区)二俣生まれ。錺屋(かざりや:創業名で、かんざしなど貴金属製品職人のこと)の三代目としてジュエリー工房の中で育つ。
物心がつく前から祭囃子を聞き、お祭り大好き少年に。学生時代は軟式野球に熱中。大手食品会社を経て、名古屋市の宝石販売会社にて業界への一歩を踏み出す。
26歳で家業を継承、オーダーメイドジュエリー店の夢を描き、2000年にアトリエ・フィロンドールを開店する。デザイナー、クラフトマンとして指輪を知り尽くし、手がけた指輪は10000本以上。妻・一女・一男あり。

目の前の幸せに気づかずに

目の前の幸せに気づかずに

アトリエ・フィロンドールの開店までには多くの迷いや葛藤がありました。宝石職人の長男として、また孫として生まれた私ですが、若い頃は家業を継ぐことや父への反発、家を出たい気持ちが強く、職人修業には目もくれずに大手食品会社で社会人生活のスタートを切りました。良い経験ではありましたが、営業マンとして過ごす毎日は自分の存在意義を考えさせられる日々。2年間仕事と真剣に向き合うことで気持ちが整理でき、やっと70年以上続いていた家業を継ぐことを考えられるようになりました。
今になって振り返れば、外に出て自らの意思を固めるために必要な時間だったのですが、『家業に幸せがあふれ、その仕事を受け継げる幸せ』に気づくまでには時間がかかりました。

私だからできることは

私だからできることは

ジュエリー業界の第一歩は先代が修行先に選んだ名古屋の宝石会社で、訪問販売からでした。美しいジュエリーを扱っているのですが、現実は数字を追いかけて『あの手この手』の毎日です。「いらない」と言われてもめげないふりをしておすすめを続け、買っていただけそうならしつこいほど訪問するのも当たり前でした。常に「これでいいのか」、「自分は社会に必要な仕事をしているのか」と自問自答の毎日。それでも6年間かけて修行生活を全うしました。
販売修行を終えて実家の店に戻ったのですが、『宝飾装身具国家一級技能士』としてものづくりをする父に対して、そこにいるのは職人にもなりきれない自分。当時は工房といえども、メーカーが大量生産したものを仕入れて販売する割合がどんどん増えていた時代でした。街のジュエリー工房は次々に消え、時代の転換を感じて職人修行は想定していなかったのです。自分や家業の存在意義を考え、ここでも苦悩は続きました。

見つけた幸せの種

見つけた幸せの種

「お客様も自分も幸せな気持ちで、世の中に必要とされる仕事をするにはどうすればいいのだろう。」私にとって永遠とも思える課題でした。
何年も答えを探し続ける中で、その種が見つかる日は突然やってきます。ある時、お客様のために父にデザインを伝え、ハンドメイドのオリジナルジュエリーを製作しました。当たり前の仕事と思っていたのですが、完成品をお渡しした時、お客様は今まで見たこともない幸せそうな笑顔を浮かべてくださいました。そしていただいた「ありがとうございます!」という言葉。その瞬間、目の前に長く立ちこめていた霧がすっと晴れました。
「これだ!お客様に本当に喜んでいただけるのは私達の原点、オーダーメイドだ。」35歳になっていた私は、職人としては異例の遅さながら、すぐさま修業を開始しました。

夢のお店を描いて

夢のお店を描いて

それ以来、父から代々の伝統技法を受け継ぎながら一流の先生方に弟子入りし、WAXやCADをはじめとした最新の技術を学びました。古いものと新しいものを別け隔てなく吸収できたのは、『生粋の職人』として伝統的な教育を受けていなかった事が幸いしたかもしれません。
寝る間も惜しむ修行と同時に、新たな『夢のお店』をつくるための奔走がはじまりました。より良い工房と開店資金のために、反対する両親を説得して代々暮らしてきた土地や店、家も手放しました。後戻りができない中、建築中に建築会社や設計事務所が倒産するなどの試練が起こり、それに関わるいわれのない訴訟を抱えるなど「もうだめか…」と崩れ落ちそうになることもありました。
一時は周囲からも開店は絶望的と思われましたが、2000年3月、奇跡的に『夢のお店』は開店にこぎつけることができました。とめどなく襲ってくる困難を乗り越えてこられたのは、どんなことがあっても幸せなジュエリーを提供するお店をつくる信念と、多くの方との運命的な出会いのおかげでした。

アトリエ・フィロンドール

アトリエ・フィロンドール

ついに完成したのは、オーダーメイドの本場ヨーロッパ流の工房併設店舗。名前は『工房』と『黄金の幸運』を意味するフランス語『アトリエ・フィロンドール』と決めました。「ここへ訪れる全ての人に、黄金のように輝き、色褪せない幸運が訪れますように」。私の夢と、ジュエリーに対する思いを詰め込んだ名前です。開店の扉を開けた日からずっと夢中で走り続け、数えきれないほどのお客様と一緒にジュエリーを作ってきました。
上質なものを全ての方に提供するためには、お求めやすい価格にすることが欠かせません。でも、素材や技法は常に最高のものを使いたい。私達の目指すのは、次々に出店して売るだけ売り、都合が悪くなったら引き払うようなお店ではありません。そのためにも利益を優先したり、お店を大きくすることには目を向けずに取り組んできました。ハンドメイドの品質と込めた思い、アフターサービスにはどこにも負けない自信があります。

分かりやすく、お求めやすく。私も気を抜くことはできず、50歳半ばを過ぎた今も宝石関連の勉強を続け、資格の取得にも励んでいます。今では同じ志のスタッフにも恵まれ、心から喜んでもらえる『世界に一つのジュエリー』作りに皆で真剣に取り組めるようになりました。
『毎日が変わるようなジュエリーがほしい』『特別なジュエリーで誰かを喜ばせたい』そんな願いを持つ全ての方の力になりたいと思っています。宝石店はなんだか怖くて緊張すると思われてしまうかもしれませんが、アトリエフィロンドールはそんなお店ではありません。ぜひ、お気軽にご相談ください。『夢のお店』で出会い、あなただけのジュエリーを制作できる日を楽しみにしています。私達に、お任せ下さい。

だにだらもんでⅡ 杉山誠 ブログ