Atelier Filondor

Masaaki Ihara

渭原賢明
Masaaki Ihara

Director, Brand Manager
デザイナー/ダイアモンドマスター/リフォームスペシャリスト/パールシニアアドバイザー

リング作りを
総合的にコーディネートする
ディレクター

米国宝石学会(GIA)でダイアモンドを学び、イタリアで彫金を学ぶ。リング作りを総合的にコーディネートするディレクター。
ダイヤの専門知識と豊かなカウンセリング経験、加工経験をベースにジュエリーをご提案します。

資格・経験

フィレンツェ市宝飾学校卒業:Scuola per l'Arte della Gioielleria Perseo
GIA G.D ダイアモンド修了士:米国宝石学会(GIA)
1級リモデルカウンセラー:(一社)日本リ・ジュエリー協議会
パールシニアアドバイザー:(一社)日本真珠振興会

浜松市生まれ。音楽や車が身近にある環境で、楽器や乗り物が好きな子供に育つ。高校・大学ではギターと歌でバンドに熱中。大学を卒業後、大手企業にてジュエリーなど高級品の外商部門に配属、初年度よりトップセールス表彰。M&Aを機にIT関連企業に移籍し、ジュエリーのWEB店舗を運営。
ジュエリーの道で生きて行くことを決意し、製作技術を含めた総合的な学習を求めて退職。米国宝石学会でダイアモンドを修めた後、全国チェーン宝石店のスタッフとしてビザ発給を待ち、イタリア・フィレンツェに単身留学。熟練マエストロ達からイタリア式ジュエリー制作、フィレンツェ流透かし、デザイン、彫刻などを学ぶ。
帰国後アトリエフィロンドールに仲間入り。豊富なジュエリー販売現場での経験をもとに、オーダーメイドジュエリーのデザインや販売、ブランド事業のディレクションを行う。

ジュエリーが好きではなかった自分

ジュエリーが好きではなかった自分

実は私、昔はジュエリーが好きではありませんでした。今を知る人は皆「信じられない」と驚きます。当時は漠然と不信感や浮ついたイメージを持っていて、結婚指輪でさえ着けないと思っていたほどです。
そんなジュエリーとの出会いは新卒での就職先でした。営業や接客業に苦手意識があった私は、商社系と自動車メーカーで最後まで迷い、文系でも企画や開発の仕事ができるのでは…と前者を選んだのです。ところが、法人営業での初年を経て言い渡された配属先は、個人のお客様に高級品全般を販売する外商(訪問やイベント販売)部門。辞令を見て眼の前が真っ暗になりました。
縁もゆかりもない土地に赴任して、販売の究極と思える個人宅訪問。しかも売るのは宝石。天敵たちのコンビネーションです。今となっては笑い話ですが、配属初日にショックで高熱を出しました。「お仕事楽しそうですね」と言っていただく今からは想像できないくらい、出会いはバラ色とは程遠いものでした。

苦手だからこそ

苦手だからこそ

高額なジュエリーを訪問販売…。どんな方がどんなふうに買ってくれるのか想像もつかないのに、成果を出すしか道はありません。疑問や不安などのあらゆる感情を押し殺し、がむしゃらに営業に取り組みました。
どの業界も同じですが、年齢や経験は関係なく『数字が全て』の世界。売れない者はその日拠点に帰れません。余計な感情が出てこないように心のスイッチを切っていても、インターホンが押せずに車に戻ったことは数知れず、こわばった顔に笑った形をつくる毎日でした。それでも車中で気を失うほど仕事に打ち込み、経験の差を補うべくジュエリーや接客について必死に勉強した結果、幸いにも一年目から全国トップセールスとして表彰していただけました。とはいえ動機は褒められたものではなく、目立つ成績を残して早く本社に帰ること。そして自分の苦手なものと戦うために目標が欲しかったことと、何とも表現できない燃えたぎる悔しさでした。ジュエリーや販売に対するどこか冷やかな目あったからこそ、この時期に客観的にジュエリーやお客様に接する基礎がつくられていったのだと思います。今でも、ジュエリーを嫌う人、販売に不信感を持つ人の気持ちはよくわかります。

人は変わる

人は変わる

そんな毎日を4年、少しずつ不思議なことが起こりました。いつの間にかジュエリーを好きになっている自分に気づきはじめたのです。「おかしい」と最初は認めたくない思いがあったのですが、それはどんどん確かなものになっていきます。また、営業が嫌だった私が、出会うお客様との触れ合いに時に笑い、時に涙するようになっていきました。私を変えていったのはまぎれもなくジュエリー、そしてお客様でした。宝石の持つ喜びを伝える力や、心を豊かにする力がわかるようになったのだと思います。ちょうど、石ころのような原石が磨かれて輝いていくように、『苦手なものを嫌々販売していた自分』は過去のものになり、『好きなものでお客様が喜ぶ顔を見たい自分』に生まれ変わっていきました。
同時に、好きになればなるほど疑問を感じるようになっていきます。時が流れ、IT関連企業や大手宝石チェーンなどあらゆるジュエリー販売の現場を経験しましたが、どこに居てもただただ売上を競うのが現実だったのです。ノルマを達成するため、売りたくないと思う商品や不当な価格と感じる商品があの手この手で販売される業界の現実に、いい加減嫌気がさしていました。これでは、またジュエリーが嫌いな自分に戻ってしまいます。

全てを知りたい

全てを知りたい

思いは抑えきれなくなり、「買う側も売る側も、幸せな気持ちでジュエリーに関わる環境を作りたい」と30歳を目前に仕事を辞めました。ジュエリーの世界で生きていくことを決め、ダイアモンドを修めた後、本場イタリアの宝飾学校に留学。色々な国から集まる仲間と彫金を勉強しました。本当のプロになって心から納得できるものをお届けするためには、これまでのように『商品知識』とか『販売トークを磨いて売る』という薄っぺらなものではなく、自分で作れるようになり、さらに背景にある歴史、文化までを感じる必要があると考えたからです。立場や貯金、それまで持っていたものを全て手放して、裸の自分で過ごした時間は大きな財産になりました。
帰国後はまるで道ができていたかのようにアトリエ・フィロンドールに導かれ、やっと理想のままにジュエリーやお客様と触れ合うことができる環境に辿りつけたと思います。

なぜオーダーメイドなのか

なぜオーダーメイドなのか

人からは、なぜオーダーメイドジュエリーなの?と聞かれることがあります。
ジュエリーは花のように、美しさで心を動かしたり、人を飾ってくれたり、想いを伝えたりしてくれます。でも、花と違ってジュエリーは枯れることなく永遠に残っていくもの。そして、とてもパーソナルなものです。せっかくだから『世界に一つのジュエリー』の感動を味わってほしい。一人ひとりの気持ちが、似通った大量生産のものではないように、ジュエリーも本来は一つ一つ、特別なものなのです。
迷いの中、ヨーロッパの路地で触れ合った宝石店がそうであったように、きちんと人と人が向き合って、個人のための上質なジュエリーを、良心的な価格で作る。それが何百年も前から続いてきた、本来のジュエリーの姿だと思います。

ジュエリーは奥が深く、価値が分かりにくいものかもしれません。だからこそ、きちんと理解していただくことに全身全霊をかけています。
「ジュエリーの魅力を、一人でも多くの方に伝えたい。」その思いで、大好きになったジュエリーと向き合っています。

Jewler's Style 渭原賢明ブログ