


アトリエフィロンドール店長
デザイナー/宝石鑑定士/クラフトマン
社団法人日本ジュウリーデザイナー協会正会員
JBS宝石鑑定士
NPO正しい宝石リフォーム普及協議会理事長
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1962年、天竜市(現:浜松市天竜区)二俣に飾り屋の三代目として生まれる。
物心つく前から祭囃子を聞き、お祭り大好き少年として育つ。学生時代は軟式野球に熱中。
20歳で名古屋の宝石外販会社にて業界への一歩を踏み出す。26歳で家業を継承するが、一念発起、35歳から職人修行開始!
建築中の業者倒産、脅迫騒ぎなどを乗り越え2000年に浜松移転、アトリエ・フィロンドールを開店。オーダーメイド・ブライダル・リフォームの専門店に。
鑑定、デザイン、制作までを行うジュエラーとして日々邁進中。妻・1女・1男あり

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実は、アトリエフィロンドールの開店までには数々の迷いや葛藤がありました。
宝石職人の長男として生まれた私ですが、当時ジュエリーの仕事に興味がなかった事や、家を出たい気持ち、父への反発…。
などの理由で、某大手食品会社の営業として社会人生活のスタートを切ったのです。
しかしルート営業の毎日には葛藤があり「自分の存在意義」を探る日々。
2年間を過ごした後考え方も変わり、いずれは祖父から続く家業を継ごうと決意しました。
ジュエリー業界でのスタートは、修行のため入社した名古屋の宝石会社での訪問販売から。
美しいジュエリーを扱いながらも、実際は数字のために何度も何度も繰り返しの販売です。
常に「これでいいのか」「自分は社会に必要な仕事をしているのか」と自問自答の毎日でした。
6年間の販売員生活を経て実家の杉山貴金属店に戻ったのですが、「宝飾装身具一級技能士」としてモノづくりをする父とは違い、そこにいるのは職人にもなりきれない自分。
ここでも苦悩の毎日でした。

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お客様も自分も、心から幸せを感じられるにはどうしたらいいのか…。
私にとって永遠とも思える課題でした。
そんなある時、お客様の要望に応え、父にデザインを伝えて1つのオリジナルジュエリーを製作しました。
なんの気なしに行ったのですが、完成品をお渡しした際、お客様は今まで見たこともない幸せそうな笑顔を浮かべてくださったのです。
その瞬間、私の目の前の霧が晴れました。
「そうだ!これだ、本当に喜んでもらえるのはオーダーメイドなんだ!」
すでに35歳だった私は、異例の遅さながらすぐさま職人としての修行を開始したのでした。

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それ以来、寝る間も惜しむ修行の傍ら、新たな「夢のお店」の設立に奔走しました。
開店資金を用意するため、反対する両親を説得して代々暮らしてきた土地や店、家も手放しました。
…しかし、やっとごぎつけた上棟の1週間後、建設会社が突然の自己破産。
鉄骨工事会社からはいわれのない恐喝。店舗設計事務所までも自己破産という試練に見舞われました。
「開店は絶望的」と思われながらも、2000年3月、奇跡的に「夢のお店」は開店までこぎつけたのです。
とめどなく襲ってくる困難を乗り越えてこられたのは、「どんなことがあっても、幸せなジュエリーを提供するお店をつくりたい」という信念と多くの方との運命的な出会いのおかげでした。
ついに完成した「夢のお店」は、オーダーメイドの本場ヨーロッパ流の工房併設店舗。
名前は「工房」と「黄金の幸運」を意味するフランス語「アトリエ フィロンドール」と決めました。
「ここへ訪れる全ての人に、黄金のように輝き、色褪せない幸運が訪れますように」
「お客様も自分も、最高の笑顔でいられるように」
私の夢と、ジュエリーに対する思いを詰め込んだ名前です。
それ以来、数えきれないほどのお客様と共にジュエリーを作ってきました。
もちろん、最高のジュエリーを全ての方に提供するためにはコストを下げることも必要です。
素材や技法は常に最高のものだけを使用するために、海外で直接買い付けを行うこともあります。
すこしでも分かりやすく、お求めやすく。努力と勉強を怠ることは絶対にできません。
今では同じ志のスタッフにも恵まれ、心から喜んでもらえる「世界に一つのジュエリー」作りに皆で真剣に取り組んでいます。
「一生の記念になるジュエリーが欲しい」「世界に一つジュエリーを作りたい」そんな願いを持つ全ての方の力になりたいと思っています。
ジュエリー店は敷居が高いと思われてしまいがちですが、アトリエフィロンドールはそんなお店ではありません。
ぜひ、お気軽にご相談ください。
「夢のお店」で出会い、あなただけのジュエリーを制作できる日を楽しみにしています。私達に、お任せ下さい。