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愛知県刈谷市にて起業家の祖父母、両親のもと3人兄妹の長女として生まれる。
男の子に混じってザリガニ釣り、泥んこ遊びなど、自然に親しんで元気いっぱいに成長。
短大の服飾科を卒業後、20歳で単身イタリア・フィレンツェに留学し2年弱をかけて現地でイタリア流の彫金を学ぶ。帰国後はアパレル企業で働きながら、さらに基礎を学ぶために国内の宝飾専門学校を卒業。
2011年、アトリエフィロンドールに仲間入り。多彩な才能と女性ならではの感性を生かしてクラフトマンとして活躍中。
物心がついた時から絵を描いたり、何かを作ったりすることが好きな子供でした。
実家は自動車関係の金属加工の仕事をしているので、今思うと知らず知らずのうちにモノづくりに親しむ環境にいたのかもしれません。高校を卒業してからは、ずっと興味のあった短大の服飾科へ進学しました。当時は漠然と「将来はデザイナーやパタンナーとしてアパレル業界に進めたらいいな」と思っていました。
服づくりはすごく楽しいのですが、突き詰めていくといつも「何かが足りない」と思う場面がやってきます。どんな服をつくっても、それに合うアクセサリーがないとファッションは完成しないんです。「じゃあ、自分で作ってみようかな」という軽い気持ちで考えたのがジュエリー作りを勉強するきっかけでした。モノづくりの先輩でもある父のすすめもあって具体的に考えはじめ、学校の先生に紹介してもらったイタリアの学校を選び、20歳になったばかりの時にフィレンツェに渡りました。
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イタリアでの一人暮らしはすごく新鮮で、知らない土地に投げ出されてみてはじめて「自分のできること、できないこと」がはっきりとわかりました。何もわからない真っ白な状態だったからこそ、「自分がどうしたいのか」ということに素直になれたのだと思います。
誇りをもって、心から楽しんで仕事をするイタリアの職人と出会って、ジュエリー作りに夢中になっていきました。友達にピアスを作ってプレゼントした時、「かわいい!」の言葉をもらったのが「この道に進みたい」と本格的に思った瞬間です。

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帰国後は働きながら宝飾専門学校に通って「切る・磨く・削る」といった加工の基礎を徹底的に学び直しました。 それでも、予想はしていましたが日本中を探してもクラフトマンの募集はほとんどないのが現実でした。有名ジュエリーブランドや大手のオーダーメイドジュエリー店も受験しましたが、話を聞くほどに自分の希望とは大きく異なる内容だったのがすごくショックでした。ジュエリーは単なる工業製品ではないので、イタリアでジュエリーを教えてくれた職人のように、「人の身につけるもの」として顔の見えるジュエリー作りをしたいと思っていました。全国をくまなく調べてみた結果「アトリエフィロンドール」に電話をかけ、職場見学に押し掛けたのが今の私につながっています(笑)。
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「クラフトマン」というと響きがいいのですが、硬い金属を加工する「職人」は力仕事も多く、綺麗なだけの仕事ではありません。でもジュエリー作りの仕事は人に幸せを届けながら自分も幸せになれる、とても幸せな仕事だと思います。
未完成のジュエリーが一つ完成するたびに、二つ、三つの笑顔が生まれると思うと、工房で思わず笑顔になってしまうんです。
また、女性の職人が直接店頭に立つことで、お客様のご希望やお気持ちをもっと形にしやすくなればいいなと思います。
ジュエリーは女性を何倍にも輝かせてくれます。だからこそ、女性ならではの感性を目いっぱいに活かして、皆が笑顔になれるようなジュエリーを丁寧に作っていきたいと思います。